2001年12月7日
12月7日 週明けに開催予定の日韓議員連盟合同総会に向けての結団式及び説明会。12月11日〜13日にソウルに於いて開催される27回合同総会に参加される議員の方々が集まりました。ソウルでの総会の様子はまた後日報告させていただきます。
2001年10月2日
10月2日 モルディブ議員連盟とマウムーン・アブドゥル・ガユーム大統領との懇談。
ガユーム大統領は1978年に就任以来現在5期目(任期5年)を務めていらっしゃいます。
モルディブは日本からの観光客が年々増加傾向にあり、2000年には約47000人が訪れています。
地球温暖化による海面上昇問題で水没の危機にさらされ、環境問題が切実な課題となっています。
また小渕が力を入れている青年海外協力隊からも約20人が派遣されており、今回の懇談でもより一層の両国間の友好を約束する形となりました。
モルディブ関連の日記
2008年06月04日
2006年07月05日
2001年10月02日
2001年9月9日
9月9日 世界陶磁器EXPO2001大韓民国利川会場(日本デー)に参加。松下忠洋内閣副大臣の挨拶の様子。
2001年9月9日
9月9日 9月8日より、韓国を訪問しました。10日に実施される日韓職能文化交流会に出席するためで、この交流会は21世紀に新たな日韓相互の市民レベルでの理解と友好を深めるため、日本は北海道から沖縄までの全国2001名、韓国からは2002名の出席のもと行なわれた大規模な催しです。
現在、日本と韓国は靖国神社や教科書問題などを抱えておりますが、こういう時節にこそ、真の理解と交流が必要との認識のもと、韓国側からも、金大中大統領ご夫妻にも国内政局に多忙な中ご臨席いただきました。
私の父、小渕恵三や多くの先輩達が築いてきた日韓の揺るぎない信頼関係を、今後も継続していく事の重要性を痛感いたしました。
2001年8月28日
8月28日 ポツダム会談が行なわれた場所。机や椅子も当時のまま保存してあり、歴史の重みを肌で感じました。
2001年8月27日
8月27日 ドイツ連邦議会を視察。ドイツらしい、歴史ある建物と現代技術によるデザインを融合させた、素晴らしい建造物でした。日本の国会見学も多いですが、こちらも大人気の見学コースだそうです。
2001年8月23日
8月23日 スロヴァキア シュステル大統領とともに。体調を崩され、しばらくお休みをとられていたので、この日はお目にかかれて光栄でした。
2001年8月23日
8月23日 地元テレビ局のインタビューに答える、綿貫議長です。来年には日本大使館が開設されるので、観光などを通じ、両国国民の交流を更に深めていきたい・・と語っていらっしゃいました。
2001年8月23日
8月23日 オーストリア ウィーン到着後、フィッシャー国民議会議長と会談。その後議事堂見学。
2001年8月23日
8月23日 ベルヴェデーレ宮殿庭園にて、綿貫議長とともに。 議長「良い所だなぁ。新婚旅行にでもどうだ?」 小渕「・・・・検討させて頂きます・・・。」
2001年8月21日
8月21日 スロヴァキアの首都ブラチスラヴァに到着。ミガシュ議長とともに。
左より、チェコの石田大使、小渕、永井英慈先生(民主党)、今村雅弘先生(自民党)、竹本直一先生(自民党)、綿貫民輔議長、ミガシュ議長。(右後方3人は、議員団の皆さん)
2001年8月21日
8月21日 スロヴァキアの議員会館。この時期は、夏休みだそうです。
2001年8月21日
8月21日 1993年にチェコとの連邦を解消し、スロヴァキア共和国となりました。来年1月には日本大使館も開設予定です。両国間の友好・親善を更に深めるため、クカン外務大臣との会談は活発な意見交換となりました。
2001年8月21日
8月21日 スロヴァキア クカン外務大臣とともに。
2001年8月21日
8月21日 スロヴァキア カドゥレチーコヴァー副首相。同じ女性としてエールをいただきました。
2001年8月21日
8月21日 スロヴァキアの街並みです。日本人にとってはチェコの方がポピュラーかもしれませんが、音楽や芸術が溢れる、情緒豊かな街です。
2001年8月21日
8月21日 道路にいきなり出現した、とてもかわいいオブジェです。ぶつかる人や車が多いので、上に注意書きも!遊び心がいっぱいです。
2001年8月21日
8月21日 8月20日より「欧州各国親善訪問衆議院議長一行」の一員として、綿貫民輔衆議院議長とともに、ヨーロッパ議会視察に行って参りました。
2001年8月7日
8月7日 日本・ヴィエトナム友好議員連盟主催の国会副議長来日歓迎レセプション。今年の5月にヴィエトナムを訪問し、青年海外協力隊の現地での活躍ぶりや、ODA(経済・技術協力)の現状の視察を行ないました。
2001年6月
隊員のたくましさに励まされた
-カンボディア・ラオス・ヴィエトナムの青年海外協力隊の現場を視察して-
衆議院議員 小渕優子さん
JICAスケッチ 海外レポート
JICAフロンティア 2001 JUNE
「途上国で頑張っている若い人たちを激励しにいこう」と意気込んで行ったのに、逆に励まされてしまった気持ちです。「何とたくましい!」。青年海外協力隊員の印象はこの一言に尽きます。全隊員の男女比は半々だそうですが、今回訪ねた3力国では女性が多く、20代から30代と私と同世代で、他の議員から見たら自分の娘にあたるような人たちです。みんな心配になって「大丈夫?」と尋ねましたが、その質問が意外なようで、「え?大丈夫ですよ」と力強く答えていました。
協力隊については知っているつもりだったのですが、発見と感動の連続でした。
4月30日から5月7日にかけて、自民党・政務調査会「青年海外協力隊小委員会」(委員長:松下忠洋・内閣府副大臣)のメンバー中心に構成された「青年海外協力隊およびODAに関する調査団」が、ラオス、カンボディア、ヴィエトナムのインドシナ3カ国を訪れた。小渕優子衆議院議員は、小委員会事務局長として、各国の協力隊の活動現場をはじめ無償資金協力や技術協力の現場を視察したほか、各国政府要人と会談した。最初に訪ねたカンボディアでは女性隊員が暮らす宿舎を見せてもらうことに。
もし、私が隊員だったら
部屋に入ると、ベッドにヤモリが何匹も……。「女の子が住むのはかわいそう」と思ってしまうような環境です。でも、隊員は「トイレが整っているので、いいほう」と。健康状態についても「常におなかは壊してます。でも、みんな通る道ですから」とあっけらかんとしている。
私自身は、途上国に行っても大丈夫なタイプだと思っていました。でも、できるだけトイレに行かずに済むようにと、とても暑かったけれど、水分を摂らないように我慢しました。頭でわかっていても、実際に大変な環境を目の当たりにすると、正直にいってそんなにうれしいものではない。清潔で便利な日本とはまったく異なる生活条件でも、隊員たちは愚痴もいわず、楽しそうに活動している。驚きでした。
感心したのは、決して食事を無駄にしないこと。「余ったら、もらって帰ろう」なんて話している。日本にいたら忘れてしまうような感覚も学んでるんですね。
生活だけじゃなく、言葉や、コミュニケーションも難しい。時間にしても、日本でのように守ってはもらえない。そうしたなかできちんと活動している。もし、私が隊員だったら、できるだろうか。帰還難民の定住を支援する三角協力プロジェクトでは、現地の子どもやお母さんたちに、文字や陶芸を教えて、とても喜ばれていました。そして、その反応をありがたく感じる隊員たち。いいコミュニケーションがとれていました。
悩みながら乗り越えること
調査団は、活動現場には訪ねられなかった隊員からも懇親会などで熱心に話を聞いた。小渕議員は不足している物などがあれば応援したいと、困っていることはないか隊員たちに尋ねた。
ところが、返ってきたのは私が何とかしてあげられるものではありませんでした。看護婦隊員の「命の価値が日本と違う」という言葉が印象に残っています。病院に入院している患者を、治療費や薬の手当ができないといった理由で家に帰さなくてはならないことがある。帰してしまえば、数日後に亡くなるとわかっていてもです。日本であれば救ってあげられるような人たちが日に何人も亡くなるのを、彼女は見ている。
カンボディアでは三角協力プロジェクトの識字教育を視察。
識字教育をしている男性隊員は「日本に戻りたくない」と言っていました。いま教えているのは、学ぶことがうれしくてしょうがない子どもたちばかり。ところが、協力隊に参加する前に担任していた日本のクラスは学級崩壊の状態にあった、と。「教える」ことの壁にぶつかっている人もいました。衛生教育の活動をしている隊員は、井戸の衛生を保つために「井戸にモノを捨ててはいけない」と伝えるのは簡単ですが、なかなか実行に移してもらえないという。なぜ悪いのか意識したことのない人々に、その重要性や意味を理解してもらい、意識を変えてもらうのはとても難しい。
隊員から返ってきたのはそうした痛みや苦悩でした。命とは何か、豊かさとは何か、悩みながら活動しているんですね。
国を担う人づくり
2国めのラオスでは、無償資金協力で建設され、現在プロジェクト方式技術協力が実施されている「ラオス日本人材育成センター(小渕記念ラオス日本センター)」の開所式に出席した。実践的なビジネス研修で市場経済化をリードする人材を育てる拠点としてつくられた。日本語教室は定員の8倍の応募が殺到するほどの人気だ。
昨年1月に亡き父、小渕恵三が日本の首相として33年ぶりにラオスを訪ねたとき、「人材育成と文化交流を」と提案したのがきっかけで設立され、この度「小渕記念ラオス日本センター」と名付けられることになりました。日本庭園や茶室も用意され、日本の文化も伝えるすばらしい施設です。
ラオス日本人材育成センターでは今村雅弘議員(前列左端)、森岡正宏議員(同右端)らとともに民族衣装で歓迎された。
ラオスでは、父のことをたくさんの人が覚えていてくれ、温かく迎えてくれました。父は生前、途上国の学校や人材育成センターに多く携わりました。それぞれの国の未来を担う若者が育っていくのを、とても楽しみにしていました。「産んで」終わりではなく、「育つ」ところにも力を貸していってほしいと思います。。
大規模援助と草の根の協力を1つの流れに
最後に訪ねたヴィエトナムでは、北部の中心的医療機関であるバックマイ病院のほか、草の根無償協力が行われている日本のNGOの活動現場も視察した。ヴィエトナムは、3カ国のうちで最も人口が多く、開発も進んでいる。国による発展段階の差や技術協力の成果の違いに驚いた。
バックマイ病院では内視鏡診断の様子を見ました。日本が援助した医療や視聴覚などの高度な機材を使いこなし、メンテナンスもしっかりとなされている。この国ぐらいに発展し人材も育ってくると、日本の援助もいい成果につながるのだと感じました。そこまで協力していくのが大変なのでしょうね。
NGOの人たちは、私たち国会議員のレベルでは気が付かない視点で、きめ細やかな活動をしていました。こうした地に足をつけて活動を続けている人やNGO の意見をどんどん聞いていかなければならないですね。草の根無償をはじめNGO支援のプロジェクトは金額は小さいけれども、その国の人々の身近なところで役立っています。草の根のアプローチと大規模な援助が、日本の協力として一本のいい流れになればいいですね。
もっと宣伝しようよ
今回の視察で多くの発見をした小渕議員。国内の広報不足を痛感した。議員になる前はTV局勤務だったこともあって、具体的な番組企画も提案。
隊員たちは、アクセスの難しさもあって、日本にいる両親とあまり連絡をとれていないようです。でも、彼や彼女たちの仕事や暮らしぶりを知ったら、きっと喜ばれるに違いありません。もっと宣伝するお手伝いをしなければと思いました。地道な事業ですから、その姿はやはり1人ひとりの言葉で伝えていくのが、遠回りのようで近道でしょうね。隊員の活動紹介だけではなくて、それを訪ねる親の様子を番組にしたらおもしろいかもしれません。
青年海外協力隊員と懇談。どの国でも同世代の隊員たちと話がはずんだ。
隊員の帰国後のことも私たちが支援すべき課題です。貴重な経験を生かせるように、またボランティアを国民に身近に感じてもらう必要もあります。
1人の力は小さい。私も国会のなかでそれを感じています。けれども、小さな力を集めれば大きな力になる。隊員1人の一歩が、途上国の国づくりの長い道のりを築いていく。私も、小さな力を結集してさまざまなことに対処していきたいと思っています。(談)
(JICA フロンティア 2001 June pp.18-19)